NEW Video/思い出の香り
新しい朗読をYouTubeに投稿しました。
よかったら聞いてみてください。
動画内の花は、先日見に行ったネモフィラ。
ネモフィラは家でも育てていたけど、一面のネモフィラっていうのは、この時はじめて見た気がする。
もう雨で散ってしまったかなぁ。
まだ5月半ばにもなっていないのに、梅雨に入ったそうですね。
最近梅雨が来るのが早い。雨は好きだけど、作物が心配。雨が降りすぎても良くないんだよね。
あと最近は雨降ると頭痛が出てしまってつらい。昔はこんなことなかったのにな。ロキソニンが手放せません。今朝なんて、食べ物を咀嚼するたび頭がずきずきした。
気温は不安定だし、雨で体調は悪いけど、梅雨とうまく付き合って夏を迎えたい。
夏になったらプールに行くぞ!
今週のお題「サボりたいこと」/否定されると泣きたくなる日々
今週のお題「サボりたいこと」
家の家事をサボりたい。家事全般というわけではなく、料理を。
料理自体は好きだけど、家族のご飯を作るのがしんどい。
昨日もカレーのことで険悪な雰囲気になってしまい、「もう本当にいやだ。人のご飯までやりたくない。」と泣きたくなってしまった。
毎日決まって自分がやるわけではないが、最近、家族の分も作ることが多い。
作ったところで「美味しい」と言ってもらえず、「こうした方がいい」、「もっとこうやって」と文句ばかり言われる。本人は文句じゃないと言っているが、自分では何も準備せず、口だけ出すなら文句としか思えない。
素直に「分かった。」と言えない自分が悪いのだろうか。
昨晩は特に気分が落ち込んでしまい、身体が重たくなって動けなくなった。「たかがカレーのことでこんな…」とまた落ち込んでしまった。
そもそも、家ではルーを使ったカレーなのに、箱の通りに作らないから時間が掛かっている。
玉ねぎは飴色にしんなりするまでフライパンで炒め、じゃがいもやにんじんも別の鍋で油が回り表面がうっすらと透けるくらいまで炒める。肉は表面が少しこんがりするまで焼く、など箱のレシピ通りに作らないから時間がかかる。
全ての具材が水とともに鍋に入ってからも、火にかけて、灰汁を取りながら1時間は煮ている。そこか火を止めてルーを溶かして、溶けきってからまた煮て、水を足して30分から1時間煮込む。
しかもその間に、土鍋でご飯も炊いているし、副菜として酢の物も用意した。酢の物は、手をつけられていなかったけど。
そうしてやっと完成するカレー。
それなのに「水を足して、もう一回煮て」と言われる。泣きたくなった。もうやっていると言っても、やるところを見るまで納得せず言い続ける相手に、キレながらカレーを煮直した。
私なりに、手間をかけて丁寧に作ったカレー。美味しいはずなのになんの味もしなかった。
泣きたい気持ちなのに泣けなくて、ただただ身体が重かった。足と地面がくっついているみたいで、ずるずると身体を引きずって歩いた。ふらふらと、壁にぶつかりながら部屋に戻った。
座ったら立てなくて、這うようにして布団に入った。明かりを消すこともできず、天井を見ていた。
食事の時間は毎日3回やってくる。つまり、料理する時間も。
夜の読書
夜眠る前、部屋の明かりを落として、ベッドサイドのライトだけをつけて本を読む時間が好きだ。
そうしていると、子供の頃に親が明かりを消した後、こっそりと小さな明かりをつけて読書に耽ったことを思い出す。
その時は学校で流行っているダレン・シャンやバーティミアス、そう言った物語を読むことが多かったけど、最近は随筆などを読むことが多い。
年齢とともに、読む本の趣味は変化した。しかし、読む本は変わっても、本を読むときのワクワクした気持ちは今も昔も変わらない。
ページをめくる音と、時計の秒針の音が響く部屋で、1人読書に耽る。それは今も昔も、私をゆったりと、優しく包んでくれる。とっておきの、私だけの時間。
お気に入りの時間というのは、こういうものをいうのかもしれない。ヨガをしたり、体の手入れをしている時間、読書をする時間。人によってさまざまだと思う。
でもどんな方法であれ、そんな風に自分のために使う時間があることは、なんて贅沢なんだろうと最近思う。どうせダラダラと使うなら、こういう風に時間を過ごしたい。
自分で自分を、1番大切に愛せるように。
ゴールデンウィークの過ごし方
ゴールデンウィークはたくさん遊んだ。
尾瀬に行ったり、食事に行ったり。一面のネモフィラも見に行って、たくさんの花を見た。
そしてゴールデンウィークは昨日までだが、今日、バーベキューをした。お肉自体は2日前に購入していた。
本当は土曜日にやる予定だったが、延期になっていたバーベキュー。今日の昼、たまたまみんな家にいたので、雨が降る前にやろうという話になった。数年ぶりに焚き火台を出し、火を起こし、お肉を焼いた。
なんだか、久しぶりにゴールデンウィークを過ごしたような気持ちになった。
小さい時は、毎年キャンプに行っていたゴールデンウィーク。焚き火の音や、炭の燃える匂いを嗅ぐと、なんだか懐かしい気持ちになる。
服や髪に焚き火の匂いがついて、お風呂に入るまで取れなかった。ゴールデンウィークはもう過ぎているけれど、やっと「お休みだ!」とワクワクした気持ちになった。
私の中でゴールデンウィークは、この匂いと共にあるのかもしれない。
これを見ている人には、思い出の匂いはあるだろうか?
今年も楽しいゴールデンウィークだった。
人はネガティブなタイトルに惹かれるものらしい
『他人の不幸は蜜の味』
昔の人はよく言ったものだと思う。これは現代でも変わらない。
ニュースは不幸なものほど一瞬で世界に回り、人気者にはアンチが絶えない。
とあるYouTuberが言っていた。
「ネガティブなタイトルの方が伸びる」
その人は自分の動画に、ポジティブな明るいタイトルをつけた場合とネガティブな卑屈なタイトルをつけた場合、どちらが再生回数が伸びて登録者の増加に繋がるか分析をしていた。
その人の自己分析の結果、伸びるのはネガティブなものなのだそうだ。
(数値は開示されていないし、もしかしたら統計学としては母数が足りないかもしれないのでソースとしては弱いかもしれないが、話の種として聞いてほしい。)
ネガティブなタイトルに、他人は惹かれるものらしい。確かに私も「ホワイト企業に勤めるOLの終わりのない華金」より、「ブラック企業に勤めるOLの終わりのない華金」の方が、どんなだろうと思ってついクリックすると思う。私の性格が悪いだけの場合は申し訳ない。
ホワイト企業は、なんとなく「定時退社して遊び倒すのかな」と思うだけだ。しかしブラック企業と聞くと、それだけで「残業で帰れなくて、そのあと家のことやって…とか大変そう」とタイトルで想像が膨らむ。ネガティブな妄想はよく働く。嬉しくないけど。
想像が膨らめば、興味が湧く。実際にはどうなのか、答え合わせがしたくなる。私の想像は合っているの?そうすれば人はクリックせずにはいられないだろう。
「タイトルでどこまで想像させられるか」がクリックにつながるのかもしれない。
更に、そのクリックにつながる大切なタイトルに「ネガティブワード」を追加することで、相手の想像力により働きかけることができ、興味を引くことができるのかも。
「他人の不幸は蜜の味」
よく言ったものである。